山谷でビーガニズムをどのように考え、実践するかについての議論の記録

以下は、ビーガニズムをどのように考え、実践するかについての山谷での議論の記録である。


直接には、一昨年(2023年)の現場会議にて、炊き出しにおいてビーガン食を出すことの提起が行われたことに端を発する。また、下層の運動とビーガニズムとの矛盾をはらむ関係についてどう考えるのか、ということにも焦点があたっている。


意見交換の記録を読み、その素朴さに驚かれる方もおられるだろう。確かに、予備知識や、議論を実りあるものにするために必要な知識がないままの、印象論だけのやりとりも散見される。だが、運動において議論がはじまる時というのは、こんなものではないだろうか。全員が十全の予備知識を持っていることはありえないのだから。


ただし、議論の中に見られる、特定の人々に対する無理解や決めつけ・思い込みについて、不快に感じる方もおられるだろう。それについては、運動体の責任として、我々は陳謝したい。


一方、ここに記録された、粗削りでベタな、雑としか言いようのない全ての意見には、それぞれの経験や暮らしに基づく、真摯な問題意識が反映されている。これらを、レベルの低いもの、考えるに値しないものとして切り捨てることはするまい。実際、ここに記録された中に、価値のない議論、考えるに値しない議論は、ただの一つもない。


記録が途中で終わっているように見えるのは、議論および取り組みがいったん中断することになったからである。それにはいくつかの事情があるが、ここでは書かない。ビーガニズムに限らず、ある実践について異なる意見があるのは、普通なことだ。そしてそれについて反対の意見を持っていたとしても、それを「一旦止めろ」と言うのではなく、運動全体としては実践を続けつつ議論を継続していく、ということは重要なことだと思う。だが、これを実際に形にするには、議論と実践を前に進めていくだけの力量・熱量が運動には必要だ。そして、われわれにはそれだけのものが不足していたということだろう。


動物解放、屠場労働者などの各戦線との連帯は深められず、いまも手探りの状態が続いている。とはいえこの後、スナウラ・テイラーの『荷を引く獣たち ―― 動物の解放と障害者の解放』 の読書会を行い、屠場労組の旗開きに顔を出させていただくなどしている。細々とではあるだろうが、探求は続けていきたい。


この、運動が集団としての思考を行う最も初期の過程のメモに、どれ程の価値があるのかはわからない。だが、これを記録として残しておくことは、我々にとり少なからぬ必要性があってのことだということは付記しておきたい。


2023年11月5日山谷労働者福祉会館活動委員会の会議で、炊き出しでビーガン対応をはじめることの提起とそれをめぐる議論


提起の内容

  • 日曜の炊き出しにビーガン志向者が参加したとき、肉などを抜いたものを別に作りたい

  • 人間が動物を抑圧している事実を直視すべき

  • 言葉を話せない動物であれば抑圧、搾取しても問題はないというのは「種差別」


それを巡る議論

  • 「炊き出しに参加するビーガン志向者」によって想定されるのは、野宿者か、支援者か。野宿者が想定されているとすると、炊き出しに参加した仲間全員が食べれるものを準備することになるだろうし、支援者が想定されているとすると、炊き出しに参加する支援者でビーガン食を希望する人が食べる、まかないのような食事になるだろう。

    • まかない的な食事を炊き出しとは別に作ることが、社会運動に内部矛盾的な問題を生み出すことがあった過去の実例を例にとりつつ議論。

    • ▶「支援者(活動家)として来ている私達は、山谷に炊き出しを食べに来ているわけじゃないと思うけど、そのへんはどうなんだろう?」▶「いや、私は支援者ですけど、炊き出しを食べに来ていますよ」▶「そうなんですね。。。」

  • 「差別とたたかう屠場労働者と連帯しつつビーガンの取り組みを進めていくことは、どのように可能か?」「ビーガンの取り組みを進めていくのであれば、屠場労働者との連帯は同時に実現されなくてはならないのではないか?」という問いかけ

    • 屠場という言葉をはじめて聞く人もいて、言葉の説明と経緯の説明

    • 「ビーガン炊き出しを行うためには、必ず屠場労働者との連帯が実現されなければならない、というのは厳しすぎるのではないでしょうか」

    • ▶「屠場労働者は好き好んでその仕事をしているわけではなく、彼らの仕事をやらされている、社会が彼らにやらせているのではないでしょうか」▶「屠場労働者は自分たちの仕事に誇りを持って働いている、ということを屠場労組の人たちは強調しているので、『やらされている』いうわけでもないと思います」▶「屠場労組前委員長のTさんという方が、屠場労働について本を書いているので、そういったものをみんなで読むのはどうでしょうか(『屠場のお仕事』)」


2023年11月5日山谷労働者福祉会館活動委員会の会議で、炊き出しでビーガン対応をはじめることの提起とそれをめぐる議論


提起の内容

  • 日曜の炊き出しにビーガン志向者が参加したとき、肉などを抜いたものを別に作りたい

  • 人間が動物を抑圧している事実を直視すべき

  • 言葉を話せない動物であれば抑圧、搾取しても問題はないというのは「種差別」


それを巡る議論

  • 「炊き出しに参加するビーガン志向者」によって想定されるのは、野宿者か、支援者か。野宿者が想定されているとすると、炊き出しに参加した仲間全員が食べれるものを準備することになるだろうし、支援者が想定されているとすると、炊き出しに参加する支援者でビーガン食を希望する人が食べる、まかないのような食事になるだろう。

    • まかない的な食事を炊き出しとは別に作ることが、社会運動に内部矛盾的な問題を生み出すことがあった過去の実例を例にとりつつ議論。

    • ▶「支援者(活動家)として来ている私達は、山谷に炊き出しを食べに来ているわけじゃないと思うけど、そのへんはどうなんだろう?」▶「いや、私は支援者ですけど、炊き出しを食べに来ていますよ」▶「そうなんですね。。。」

  • 「差別とたたかう屠場労働者と連帯しつつビーガンの取り組みを進めていくことは、どのように可能か?」「ビーガンの取り組みを進めていくのであれば、屠場労働者との連帯は同時に実現されなくてはならないのではないか?」という問いかけ

    • 屠場という言葉をはじめて聞く人もいて、言葉の説明と経緯の説明

    • 「ビーガン炊き出しを行うためには、必ず屠場労働者との連帯が実現されなければならない、というのは厳しすぎるのではないでしょうか」

    • ▶「屠場労働者は好き好んでその仕事をしているわけではなく、彼らの仕事をやらされている、社会が彼らにやらせているのではないでしょうか」▶「屠場労働者は自分たちの仕事に誇りを持って働いている、ということを屠場労組の人たちは強調しているので、『やらされている』いうわけでもないと思います」▶「屠場労組前委員長の栃木裕さんという方が、屠場労働について本を書いているので、そういったものをみんなで読むのはどうでしょうか(『屠場のお仕事』)」

  • ビーガンの思想について

    • ▶「動物は食べちゃだめだけど、植物は食べていい、というのは理由がわかりにくい。命があるという意味では両方同じと言えるのではないでしょうか?」▶「それはちょっと雑すぎる議論ですよ」

  • 動物が感じる「痛み」について

    • ▶「日本での屠畜では最初に脳震盪を起こした後、適切な処理が行われるようになっていて、痛みの問題について対応はされてるようです」▶「痛みについてはそうだとしても、飼育状況と移動の際の状況など、他にもいろいろな問題があると思います」

  • ビーガニズムと下層労働者との関係について

  • ▶「日雇労働者や下層の人たちは、吉野家などの牛丼を食べる人が多い。低価格で最低限の栄養をとるには、吉野家や松屋などの牛丼以外に選択肢があまりないのが実情。そういう人たちの食を「種差別」といい、「肉を食うな」というのは、階級的な視点が少し足りないのではないでしょうか?やはり、ビーガン食を実現できるのは、一定以上の所得がある階層、という現実があるように感じます」▶「ビーガンは金持ちの道楽、というような傾向があると思います」▶「炊き出しにならぶ野宿や日雇の人たちは、自分が食べるものを選べるような立場にはないので、そういう人たちに、「肉ではなく植物を食べるべき」というのは難しいのではないでしょうか?」▶「自炊して自分で弁当を準備するなどすれば、ビーガン食を安く実現することは可能だと思います」▶「日雇労働者や下層の人たちは自炊できるとは限らないわけだから、日雇労働者や下層の人たちの置かれた状況を考える必要があるとは思います」

  • 野宿する仲間からの意見

    • 「言い方がきつい」「言い方がきつすぎるわ」という指摘

    • 「おれらのこと何も分かってへんやんか。分かってからモノ言えや。」

  • 山谷とつきあいの長い獣医さんが、動物実験反対の運動に関わっていて、そういったことも含めて野宿者運動とビーがニズムについて考えていけばいいのではないか、という指摘。

    • ▶「こちらとしても問題に考える点もある。今後も議論を続けていければいいのではないか」

  • 全体として、「ビーガン炊き出しを行うことに対し、反対意見もあるが、とりあえずやってみよう。やりながらいろいろなことを考えていこう」、というのが結論。まかない的なものではなく、炊き出しを食べに来る仲間が誰でも食べれるものを、ムリない範囲で少量準備するところから始めようということに。


2023年11月12日(上記会議の次週の日曜日)


  • ビーガン食のメニューを通常の炊き出しとは別に20食程作り、出した。

  • 「精進料理」という看板を出して野宿の仲間に周知

→ツイッターの写真よりその際の説明文を記載します

 「ヴィ―ガン対応メニュー 肉、魚、乳製品を使用していないヘルシーなメニューです。精進料理、ハラール、アレルギー有の方などさまざまな事情のある方にも食べられるように作りました。」

  • ビーガン食のメニューの準備作業は、野宿者を含め3人が主に参加。野菜を切る作業に参加せず、切り終わった野菜を持っていくことについて、「野菜を切る作業もみなと一緒にやったらどうでしょうか」という提起。「来週以降、そのことも考えます!」

  • 準備したビーガン食のメニューは、おかわりのときに炊き出しに来た仲間が持っていき、全部なくなった。

  • ツイッターにこのビーガン食のメニューの写真を上げ、多くの人の目にふれることとなった

  • 寄り合いの際にビーガン食の説明があった。「種差別」などには言及せずに、さまざまな事情のある方も食べられるようにしたという説明。


2023年11月19日(上記会議の2週間後の日曜日)


  • 朝の寄り合いで、山谷のツイッターに、注釈なしにビーガン炊き出しの写真が載ったことについて、「ビーガン食の炊出しについて、いま現在議論をしているところで、試行錯誤している段階。それが全体の方針であるかのように、ツイッターに出てしまっているのはよくない。どうするか対応を考えるべきでは」という意見が出る

    • ビーガン食の炊出しをやったことは事実だから、その報告がツイッターに載るのは問題ないのでは

    • とりあえずツイッターでの報告を削除するほうがいい

    • ツイッターにて「現在、XXのような段階です」と載せるべき

    • ↑ などなどの案が出た

    • 議論の結果、「ビーガン炊出しをやっていること」「ビーガン炊出しについては反対意見があること」「議論をしている段階であること」をツイッターで発信する、ということに決まる。

  • ツイッターのこと以外にも、ビーガン食についていくつか議論

    • 「人間を抑圧しないために肉食をしないと言っているが、肉食することが動物への抑圧だと主張することで、屠場で食肉を生産してきた屠場労働者や肉を食って現場で仕事してきた日雇労働者を抑圧してるのではないでしょうかか」

    • 「自分は20代のころから約20年間ゆるい感じでのベジタリアンを実践してきた。山谷でのベジタリアンの実践はいろいろな面で難しいところがあるとは思う。色々考えて、いまはベジタリアンはしていない。 現場の矛盾を見ながらビーガン食をしていくことはかなり重要ではないか。 前向きに考えながらやっていこう」

  • 夕方の寄り合いにて

    • 「山谷のツイッターで、炊き出しに参加していない人たちにも、炊き出しでビーガンやることの是非をききたいのですがどうでしょうか」

    • 「まず山谷内部での議論をしたほうがいいのではないかと思います」

この記事へのコメント