山谷夏祭りとアルミ缶

2018山谷夏祭りは8月4日5日、暑さの中たくさんの人の参加と協力で行うことができた。
山谷の真ん中にある玉姫公園で、野宿者中心に炎天下に汗だくで設営し、無料のウーロンハイ、食べ物は全部50円の屋台が並んだ。山谷の祭りとしてはずかしくないものになっただろうか。
山谷の夏祭りは90年代以降、その中心にアルミ缶を据えている。アルミ缶の相場より少し高い買取を行う、そして屋台で使える50円券はアルミ缶10個と交換できる。メインステージ前にはアルミ缶の山が積み上げられる。
仕事がなくなり野垂れ死にをつきつけられた労働者が、飢餓線上で編み出したアルミ缶集めの仕事に、最大限の敬意を払っているからである。
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90年代におこったことはこうだ。
バブル経済が崩壊し、建設労働需要が激減した。日雇労働者は失業者になったと同時に野宿者になった。路上に人があふれ路上死が常態化した。生活保護を含め行政は無策だった。資本ももちろん責任を負うことはなかった。野宿するよりはマシだろうというばかりに働いても賃金を払わないタコ飯場と生活保護費を全てピンハネする貧困ビジネスがはびこった。野宿者たちは自力で寝場所(小屋)と仕事(アルミ缶集め)を作り出した。
もちろん現在の情勢は90年代から変化している。野宿者は減ったし生活保護受給者は増えた。建設需要は増大し建設業は空前の人手不足だ。
しかし、忘れることは絶対にない。あのとき昨日までの鳶の親方も根切の名人も黙々と穴掘り続けた土方もみんなアルミ缶を集めるしかなかったではないか。今も野宿を続けアルミ缶で生活をたてている人がいる。体が動くうちは生活保護を受けることをよしとしない人たちがいる。資本が用無しと規定した人間は使い捨てられるという根本は変わらない。動員と棄民が裏表であることの彼らは生き証人である。

そのアルミ缶集めに対して、各区が恥知らずにも「持ち去り禁止」を言い出している。アルミ缶集めはギリギリの生を維持できるそういうレベルの仕事である。一晩中集めてわずか数百円の収入という場合も多い。過酷な仕事だ。しかし体を使って自分の食い扶持をかせぐ、その人の尊厳をかけた仕事である。やらなければ食えない。その人に「カンを持っていくな」「条例違反だ」と言うのである。
仕事も住まいも金も持っている人たちが捨てた「ゴミ」であるアルミ缶を仕事がない人が拾うということさえ罪悪視しようとするのは失業者に対する侮辱であり、暴力以外の何物でもない。

野宿者が集めたアルミ缶ももちろんリサイクルの回路にのる。
カンビンなどの行政回収はトラック1台で約4万円の経費がかかり、それに比べて売却益はけた違いに小さい。行政回収量が増えればトラックの台数を増やすことになり、かかる経費の方が大きくなるのである。
リサイクルには変わりない、経済的にもメリットはない、それなのになぜか「持ち去り禁止」が叫ばれる。「持ち去り禁止」は行政ではなく古紙業界団体の旗振りで進んでいる。一部業界団体の利害のために行政は条例を制定し、結果、差別と暴力を生んでいる。

幾重にも矛盾を背負わされながら自らの尊厳をかけてがんばっている野宿の仲間たちとともに夏祭り以降の闘いを続けている。多くの方のご注目をお願いしたい。
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