竪川河川敷公園1.21~1.22亀戸一周デモ報告
江東区による行政代執行が行われようとしている竪川河川敷公園で、デモ前夜~1.22「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」(亀戸一周!)行動に参加した仲間による報告がブログ「虹とモンスーン」に出ました。
以下、引用です。
【報告】1.22 野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ
一月二十二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきた事に対して急遽呼びかけられたもの。

あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二百人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。
山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、十一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間に渡って追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきた事、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。
公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年十月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区のでテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められた事、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していた事。
それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。
十二月二十二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、十二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二十日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。
そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。
パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たちは二十人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限は無い、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。
すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三十回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた、見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこらが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗る事は無く一切の介入をさせなかった。
結局、なす術を無くした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四名のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。
「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一種懸命に言っているが、近づくと酒臭い、おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場に寄越されたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。
「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか。」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ。」結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二十一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。
基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の1人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」一人一人がその思いを表明する。
続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年十二月十一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が冷えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年十一月に起っている。
区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。

次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。
太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。
竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。
解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。
多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。
さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。
以下、引用です。
【報告】1.22 野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ
一月二十二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきた事に対して急遽呼びかけられたもの。

あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二百人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。
山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、十一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間に渡って追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきた事、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。
公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年十月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区のでテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められた事、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していた事。
それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。
十二月二十二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、十二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二十日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。
そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。
パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たちは二十人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限は無い、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。
すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三十回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた、見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこらが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗る事は無く一切の介入をさせなかった。
結局、なす術を無くした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四名のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。
「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一種懸命に言っているが、近づくと酒臭い、おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場に寄越されたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。
「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか。」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ。」結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二十一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。
基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の1人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」一人一人がその思いを表明する。
続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年十二月十一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が冷えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年十一月に起っている。
区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。

次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。
太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。
竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。
解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。
多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。
さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。