【江東区は竪川河川敷公園の小屋を暴力で根こそぎにするな!】これまでの経緯をまとめました

江東区立竪川河川敷公園の五ノ橋付近で暮らす15人の人々は、1月12日、江東区から除却命令書を受け取ることになった。1月20日現在、除却命令の期限である1月18日をすぎており、次の段階として江東区が行政代執行手続きをとることが危惧されている。いま、現地の公園で暮らし除却命令書を受け取った人々が原告となるなどして、"除却処分執行停止の申立て"と"除却処分取消しの訴え"を東京地裁に対して行っている。

竪川河川敷公園で暮らす人々が、同公園の改修工事について初めて知ったのは、2006年の3月である。「お知らせ」と題し、一方的な立ち退きを求める内容の文書が江東区により配られた。竪川河川敷公園で暮らす人々は、団体交渉を要求し、(区による数度にわたる拒否の後に持たれた)交渉の席で区職員は「排除はしない」と明言。この後、一旦、全面改修工事は中止された。

改修工事計画が再び開始されるのは、2009年度はじめである。区の「排除はしない」という確約があったので、竪川河川敷公園で暮らす人々は工事に協力する方針。しかし、工事が進み、その内実が明らかになるにつれ、野宿者追い出しがその主目的であることが鮮明になる。区民からの問い合わせに対し、江東区は「工事後は公園の野宿者をゼロにする」と回答。実際、工事は公園全体をスポーツ施設で埋め尽くすものであり、その計画において「いかに野宿者が住みにくい公園にするか」という内容の書類が存在することも明らかになっている。

また、野宿者追い出しは、公共空間の私企業への売り渡しと裏表の関係にある。竪川河川敷公園において昨年7月31日に完成したカヌーカヤック練習場の運営は、私企業に委託されている。その他、フットサル場などの運営が同様に私企業に委ねられる予定である。
【注:近隣の墨田区では、錦糸公園の体育館の建て替えに伴い、旧体育館の敷地に寝泊まりしていた人々が追い出された。その際、人々の荷物がゴミとして捨てられ、責任部署である墨田区スポーツ振興課は最後まで人の所有物であることを認めようとしなかった。新しく作られた体育館の運営を行っているのは民間企業である。】
公園の大部分を私企業の営利活動に提供する場として作り変える現工事計画は、公共の空間である都市公園の機能を著しく損なうことになる。

竪川河川敷公園の工事が進む中で、江東区は「排除はしない」と言いながら、人々に工事区間から出て行くことを要求。しかし、工事完了後、竪川河川敷公園で暮らしてきた人々の居場所がどうなるかについては明言せず。このような中、2010年 9月、今回除却命令書が配布された地域が「移転地」として区により設定された。
具体的には、「2009~2010年度工事区間(通称A工区:亀島橋から五の橋までの約1kmの間の区間)」で暮らす人々に対し、江東区がA工区内の五の橋付近に移転地を造成し、そこに移るように求めた。工事業者が、「移動のお願い」という文書を配布(別紙1参照)。団体交渉の場で、江東区は「工事が終わる8ヶ月の間、膝詰で話をしていきたい」。人々は「話し合いがつかなければ移転地に残る人も出てくる」と伝え、江東区は「その際にも強制的なことはしない」と明言。 2010年10月、移転地へ移動が行われた。

「膝詰で話を...」との言葉にも関わらず、江東区は移転地からの移動を一方的に要求するのみ。2011年9月29日の団体交渉を最後に、江東区は話し合いを放棄、暴力的な追い出し路線へとシフト。夜間のガードマンの巡回が8月頃から始まり、テントを揺する、入り口を勝手に開け顔を懐中電灯で照らす、などの嫌がらせを繰り返す。10月には、江東区水辺と緑の課の荒木課長が、職員・私服警官計20名ほどを引き連れて、B工区で暮らす人々に対し、やくざのような言葉使い「お前ら俺をバカにしているのか」「いい根性してるじゃねえか」で、恫喝した。

この後、話し合いを持つことなく、江東区はA工区の移転地のテントに対し警告書、指示書を計5度にわたり貼付。12月22日には、弁明機会付与通知書を交付し、今回の除却命令の交付となった。

工事に際し、水辺と緑の課の予算により、一年間のみ家賃無料のアパートを提供する事業が行われてきた。「竪川河川敷公園路上生活者自立支援事業」である。しかし、このアパートの契約はサブリース契約であり、入居者の居住権は著しく制限されている。また、留守中に江東区職員や委託民間団体(新栄会)が入居者の許可無く立ち入ることを認める同意書や、屈辱的な内容の誓約書(別紙2参照)への署名を強要される等、深刻な問題をかかえている。住宅への入居の支援と呼ぶには、到底値しない内容のものである。

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